近世の新屋敷通町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:14 UTC 版)
「新屋敷町 (鹿児島市)」の記事における「近世の新屋敷通町」の解説
町域内の船魂神社付近は江戸時代末期までは加子町と呼ばれており、薩摩藩水軍の基地が所在していた。明治になると水軍基地は下荒田に移転した。 明治時代初期より鹿児島府下のうちの新屋敷通町であった。1877年(明治10年)の戸籍簿によると、戸数542のうち士族362、平民180とあり、士族が多く所在していた。
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