近世の斧淵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 22:56 UTC 版)
江戸時代には薩摩国薩摩郡東郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」では2,227石余、「郡村高辻帳」では2,227石余、「三州御治世要覧」では2,160石余、「旧高旧領取調帳」では2,203石余であった。 斧淵には東郷の地頭仮屋が置かれており、田海村(現在の田海町)から移され舟倉の後馬場に置かれていたが、延享年間に鶴岡城の跡付近の高城南麓の小路に移された。地頭仮屋の周辺には麓集落が形成されていた。寛政12年には郷士が366家あったとされる。外城である東郷の地頭は掛持地頭となっており遥任であった。 江戸時代に入って慶長19年(1614年)に宮之城島津家が転封されたのちは薩摩藩の直轄領となった。東郷では薩摩藩の直轄領となったことから地頭による統治が行われることとなり斧淵村の地頭には敷根頼国が就任した。寛永10年(1633年)に日置島津家の島津久慶が東郷領主となったが、延宝8年(1680年)には日置島津家の島津久竹の願いにより旧領の日置(現在の日置市日吉町日置・日吉町山田の区域)へ移封となった。これにより再び東郷は薩摩藩の直轄領となった。
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