辻ヶ花の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 04:59 UTC 版)
戦国時代の16世紀半ば、日本の染織工芸は海外の染織品からの影響を受けて、その素材や技法を多様化させていった。すなわち、中国から輸入された刺繍作品の刺激を受けて、日本でも小袖などに精巧な刺繍が施されるようになり、刺繍と金箔を併用した縫箔という加飾法も現れたのである。こうしたなか、「辻が花」と称される一連の染物が登場した。 辻が花は、縫い締め防染による染めを中心にしたもので、室町時代末期から江戸時代初期に至る短期間に隆盛して姿を消した。現存遺品数が300点足らずにとどまることもあって「幻の染物」と称されることがある。この染物は、縫い締め絞りを主体として、これに描絵、刺繍、摺箔などの加飾をほどこしたものであり、地はこの時代に特有な練貫地(生糸を経糸、練糸(精錬した絹糸)を緯糸に用いて織った地)が多く、製品の種別としては小袖および胴服が大部分を占めている。 しかし、江戸時代中期に糊で防染する友禅の技法が確立、普及していくと、図柄の自由度や手間数の多寡という両面で劣る辻ヶ花は、急速に廃れ消滅した。その技法が急速に失われてしまったこと、また、その名の由来に定説がないこと(詳細後述)なども辻ヶ花が「幻の染物」と称される所以である。
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