軍管以前の鎮西鎮台の管轄地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:43 UTC 版)
「第6軍管」の記事における「軍管以前の鎮西鎮台の管轄地」の解説
陸軍の管轄地が法定されたのは、明治4年8月(1871年9月から10月)である。全国4つの鎮台に管地が割り当てられ、熊本に置かれた鎮西鎮台が現在の九州地方と中国地方の西部(現在の岡山県西部(備中国)と島根県より西)を範囲とした。琉球は含まれない。当時の府県は改廃の頻度が高く、境界は国(令制国)で示された。 鎮西鎮台鎮台の直管 豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、壱岐、対馬 第1分営(広島)の管 安芸、備中、備後、出雲、石見、周防、長門、隠岐 第2分営(鹿児島)の管 薩摩、日向、大隅
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