軍管以前の管地 (1871)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:43 UTC 版)
「軍管」の記事における「軍管以前の管地 (1871)」の解説
1871年(明治4年)の鎮台条例は、管区について特別の語を用いず、「管」や「管地」について定めた。全国には4つの鎮台があり、鎮台の下に1から3の分営がある。地域は鎮台が直接管轄する地域と、分営が管轄する地域に区分された。当時は府県の改廃が頻繁だったこともあり、区分は国(令制国)で示された。東京鎮台の管地は関東および中部地方の東部、東北鎮台が東北地方、大阪鎮台が近畿地方と四国地方に中部地方西部と中国地方東部とを加えた地域、鎮西鎮台が九州地方と中国地方西部である。北海道はどの鎮台の管地でもない。 この時期の管区は、一律に区分されていないことを特徴とした。これは特に分営の管において顕著であり、東京鎮台の直管が関東地方より広いのに、第3分営は信濃だけを管地にする、といった不均衡があった。
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