軍事顧問団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:31 UTC 版)
ナポレオン3世は開国した日本との関係を深めるため、第15代将軍・徳川慶喜との関係を強め、1866年に対日軍事顧問団を派遣することを決めた。ブリュネはシャルル・シャノワーヌ参謀大尉を隊長とする軍事顧問団の副隊長に選ばれ、フランス陸軍砲兵大尉として1867年初めに日本に到着した。軍事顧問団は横浜大田陣屋で幕府伝習隊を1年以上訓練したが、1868年の戊辰戦争で江戸幕府は明治新政府軍に敗北することになる。フランス軍事顧問団は勅命によって新政府から日本からの退去を命令されたが、ブリュネらフランス軍人は残留を選択し、フランス軍籍を離脱して榎本武揚率いる旧幕府艦隊に合流、箱館戦争に従軍した。シャノワーヌ隊長は参加しなかった。なお、榎本武揚は刑部省の糺問に対し、ブリュネがイタリア公使宅で催された芝居の混雑に紛れて脱走した(芝居相催其混雜ニ紛レ脱シ候由)と供述している。
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