車椅子事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 10:04 UTC 版)
1997年11月、日本とイランがW杯出場の座を賭けてプレーオフで激突する事となったフランスワールドカップ第三代表決定戦(「ジョホールバルの歓喜」)において、アジジは試合前日に日本の報道陣の前に車椅子で現れておきながら当日何食わぬ顔でスターティングメンバーとして出場し、後半開始からわずか25秒で同点ゴールを決めた。 この一件については当時から現在に至るまで、イラン側が情報戦を仕掛けてきたと認識している者がほとんどである。北京五輪サッカー日本代表監督の反町康治も、試合前日の記者会見で相手の主力選手が負傷しているというニュースに対して「昔のアジジみたいなこともあるしね(笑)」と答えたことがある。ただ、一部のメディアが『アジジの出場は絶望的、欠場か』と大きく取り上げる一方で、岡田武史監督や日本代表の選手は嘘だと見抜いていて相手にしていなかった。 なお、当時のイラン代表監督ヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラによれば、アジジが前日練習を欠席したのは、「途中で主力のアジジが同僚と喧嘩した。それでイランサッカー協会がアジジを強制送還させようとした。そうした内紛を表面化させない為だった」と後に語っている。 この第三代表決定戦が日本サッカー史上、過去最大の注目を浴びたため、アジジの出場可否をめぐる情報戦も大きく報道された。そのためにサッカーの試合における情報戦、メンバー発表における駆け引き(主力温存、当て馬作戦など)そのものが「アジジ」「アジジ作戦」などと呼ばれるようになった。
※この「車椅子事件」の解説は、「コダダド・アジジ」の解説の一部です。
「車椅子事件」を含む「コダダド・アジジ」の記事については、「コダダド・アジジ」の概要を参照ください。
- 車椅子事件のページへのリンク