路子工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:34 UTC 版)
路子工(みちのこたくみ、生没年不詳[1])は、『日本書紀』に登場する7世紀初頭の百済の土木技術者。本名不詳。別名芝耆摩呂(しきまろ)。イラン(ペルシア)系西域から中国南朝を経て百済に寄留していたイラン系(ペルシア)胡人[2]。「路子工」は、パフラヴィー語人名を漢字にあてているとする説が有力。伊藤義教は、「路子工」をパフラヴィー語の「Rāh-āškār(築道に明るい者)」と、「芝耆摩呂」をパフラヴィー語の「Āškār-āmār(計測に明るい者)」の写音と指摘している[2]。
- ^ “노자공 路子工,?~?”. 斗山世界大百科事典 2022年4月15日閲覧。
- ^ a b 伊藤義教『ゾロアスター教論集』平河出版社、2001年10月1日、165頁。ISBN 4892033154。
- ^ a b 犬飼隆『「鳥羽之表」事件の背景』愛知県立大学〈愛知県立大学文学部論集 国文学科編 (57)〉、2008年、6頁。
- ^ 田村圓澄・黄寿永『百済仏教史序説』吉川弘文館〈百済文化と飛鳥文化〉、1978年10月1日。ISBN 4642020861。
- ^ 杉山二郎『正倉院 : 流沙と潮の香の秘密をさぐる』瑠璃書房、1980年、175-176頁。
- ^ 伊藤義教『ペルシア文化渡来考―シルクロードから飛鳥へ』岩波書店、1980年、48-68頁。
- ^ 『日本書紀』巻第二十二・推古天皇二十年是歳条
- ^ 『日本土木史』日本土木学会、1994年、1033頁。
- ^ “橋の歴史物語 > 第1章”. 鹿島建設. (2001年). オリジナルの2020年11月29日時点におけるアーカイブ。
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