越ヶ谷御殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:09 UTC 版)
「御殿御茶屋」も参照 越ヶ谷御殿は、慶長9年(1604年)に徳川家康によって設けられたが、明暦の大火により江戸城が焼失しに伴い解体され、明暦3年に廃止された。その跡地は越谷市御殿町である。越ヶ谷御殿は現在の越谷市増林にあった御茶屋御殿を現在の越谷市御殿町に移築され「越ヶ谷御殿」と称した。 この辺りは元荒川沿い低湿地地帯で、野鳥が多く、徳川家康や徳川秀忠も御殿に休泊し、民情視察を兼ねて鷹狩りを重ねていた。『徳川実紀』によると慶安2年(1649年)徳川家綱の時、日光社参の際休泊に利用された。しかし、明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(3月4日)の明暦の大火により江戸城が焼失したために、この御殿を解体し、江戸城の再建に利用され江戸城二の丸に移された。一帯は一部を除き畑地として開発されたが「御殿」の名はその地名として残り、住居表示施行の際に「御殿町」として正式な地名となっている。
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