超弩級戦艦へ発展(1912年)大艦巨砲主義へ
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「ドレッドノート」完成のわずか6年後に、弩級戦艦を大きく上回る攻撃力を有するオライオン級戦艦(1912年、22,200t、34.3cm砲10門)がイギリスで誕生した。弩級戦艦より強力な火力を持つことから「超弩級戦艦」(super dreadnoughts)と呼ばれた。これにアメリカが35.6cm砲戦艦を、フランスが34cm砲戦艦を整備し、イギリスから巡洋戦艦「金剛」を購入した日本も以後は35.6cm砲戦艦「扶桑型」「伊勢型」を整備し始めて超弩級戦艦時代が到来した。 また、列強以外ではチリ海軍がアルゼンチン・ブラジルに先駆けて「金剛」と同じく35.6cm砲を搭載する戦艦「アルミランテ・ラトーレ級」2隻(1915年、28,600トン、35.6cm砲10門)を発注し差をつけた。また、ブラジルやギリシャやトルコも超弩級戦艦の建造を列強に発注するが資金難や大戦の勃発などの事情により建造依頼は取り消された。 こうした流れの中でも主砲の大口径化は進み、オライオン級の3年後には更に大口径の主砲を持つクイーン・エリザベス級(1915年、29,150t、38.1cm砲8門)がイギリスで完成。これ以降もより大きな艦体に、より大きな主砲を積む戦艦を建造する傾向が第一次大戦後にも続いた。これを「大艦巨砲主義」と呼び、日本の大和型(基準排水量:64,000t、46cm砲9門)がその頂点に達した。また英独日では、弩級戦艦や超弩級戦艦と同等の攻撃力を持つが軽防御高速力の巡洋戦艦も建造された。
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