貴族の没落と市民経済の勃興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
科挙は試験によって人材を選抜する制度であるが、合格には長期間勉強に集中できる環境が必要であり、また書物の購入費用などもかなりの額になることから合格にはそれなりの財産が必要であった。 貴族が科挙を軽視していた時代に科挙を受けたのは、財産を積み上げてきた新興地主層で、これらの科挙合格者達は武周期を境に官界へ進出し始め、官僚としての特権を利用して財産を積み上げ、豪商・富農と呼べる存在が現れる。また、商業全体も活発化した。 煬帝によって作られた大運河も流通の柱として大きな活躍をし、その重要さから政治都市・長安より、大運河沿いの商業都市・開封が中国の中心都市の地位を奪うことになる。 社会の変化に対応できない貴族層や新興富裕層は没落し、唐代の勢家は平均3 - 6代程度と短い。貴族の影響力の牙城であった門下省はその実質を失い、中書省に吸収されて中書門下と呼ばれるようになる。次第に貴族層も科挙を受けるようになるが、五代十国時代の戦乱の中で中国史に於ける貴族は消滅する。 新興地主層は北宋代の形勢戸に繋がり、この層が科挙官僚を生み出すことで士大夫層の形成へと繋がる。
※この「貴族の没落と市民経済の勃興」の解説は、「唐」の解説の一部です。
「貴族の没落と市民経済の勃興」を含む「唐」の記事については、「唐」の概要を参照ください。
- 貴族の没落と市民経済の勃興のページへのリンク