貴族・民会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 18:41 UTC 版)
支配地の管理には、公以外にはボヤーレ(貴族)とドルジーナ(従士団・親衛隊)が参加した。ドルジーナは公に属し主に軍事行為に従事するものたちであるが、ポヤーレと雇用関係を結ぶドルジーナもいた。12世紀のキエフ大公国の分裂期には、政治権力は公とドルジーナのうちの上位層の手から、力を増してきていたボヤーレの手に渡った。ボヤーレは、その始祖はキエフ大公をはじめとする公たちと同じリューリク朝の出身者であったが、この時期には既に公家とは別の家門を成していた。 また、市民によって構成されるヴェーチェ(民会)が各都市に組織されていた。945年にイスコルテニのドレヴリャーネ族は、ダーニ(貢税)を求めた公のイーゴリを殺害するが、この殺害に至るまでの討議は『原初年代記』に記述されており、討議は既にヴェーチェが機能していたことを示すものであるとみなす説がある。ヴェーチェは自由民階級の戸主である成人男子に参加権がある直接民主制であり、事項の決定は全員一致を原則としていた。開催は鐘を打ち鳴らすことで住民に周知させ、時には公や貴族に対する蜂起をも引き起こした。
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