貧農救済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 09:43 UTC 版)
加賀一向一揆鎮圧に伴う武士と農民との軋轢は、十村制の制定により緩和を見せ、農民のサボタージュや逃散は減少したものの、一揆鎮圧時の処刑による人口減少に端を発した生産性の低下は著しく、かつ根深いもので、年貢の徴税額は予定通りには上昇しなかった。利常は、税収を上げるためにはまず農民の暮らしを安定させ、その一方で富を与えすぎると働く意欲を失うから、しっかりと徴税をする必要があると考え、施行されたのが改作法であった。改作法では、 農民の借金の帳消し 農具や種籾を購入するための銀(改作入用銀)の貸し付け 当座の食料(作食米)の貸し付け 労働人口の再分配 が定められ、農業生産力を高める試みがなされた。これらを施行するに当たり十村制が十分に活用されたことは言うまでもない。十村は藩の役人との調整、農業指導、労働人口の把握など実務機関として行うべき業務を一手に任されたのである。改作入用銀、作食米も十村を経由して農民達に融資された。改作法が施行された6年間の融資総額は、米73,000石、銀695貫目(2.6t)に及ぶ。 利常は、鷹狩りと称して領内を自ら検分し、改作法が適切に運用されているか、効率の良い作付けがなされているか、遊休地はないか、といったことを一つ一つ改作奉行や主立った十村達に指示していた。また、労働人口の再分配に従い故郷から他の土地へ移住させられることになった農民たちを城に呼び、直接ねぎらいの声をかける事もしている。
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