謝恩碑の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 07:10 UTC 版)
この御料林の下賜を記念して、1922年(大正11年)には甲府市中央の舞鶴城公園(甲府城跡)に謝恩碑(山梨県恩賜県有財産謝恩碑)が建立された。甲府城は明治初期に内堀・二ノ堀が埋め立てられ官公用地として開発されているが、謝恩碑は現存する遺構である本丸西隅に位置している。 謝恩碑は1917年(大正6年)の臨時県議会で建設が議決され、建設地は甲府城本丸跡の西南端に決まった。標高は305メートル。謝恩碑は工学博士・伊東忠太の設計で、完成までに3年、工費99524円を要した。碑高約18m、台座を含めた総高約30mの花崗岩製で、オベリスク型。 石材は東山梨郡神金村(甲州市)の恩賜林から切り出され、原石を「修羅」と呼ばれる木製のソリに載せ、さらにそれを県内で「かぐらさん」と呼称される巻上機で運搬した。
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