誤った伝説について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:46 UTC 版)
「パーヴェル・レンネンカンプ」の記事における「誤った伝説について」の解説
タンネンベルクの戦いにおいて、レンネンカンプがアレクサンドル・サムソノフの第2軍を支援しなかったために、ロシア軍は大敗北を喫した。「なぜ、救援に行かなかったのか?」という点は大いなる疑問点として、早くから、さまざまな理由が検討されてきた。日露戦争でドイツ観戦武官でもあったドイツ第8軍の作戦参謀のマックス・ホフマン中佐の回想録にある「日露戦争のとき,両将は奉天駅で殴り合いの喧嘩をした」ため、というものが最も有名な説である。 「そこで二人は激しく相手を責め合った揚句,ついに激昂したコサック司令官はいきなり相手を殴りたおした。二人は敗軍将兵の目前で,泥まみれになってつかみあいをやったが,結局,みるにみかねた幕僚たちによって引き離された。このシベリア・コサック司令官は誰あろう,サムソノフその人であり,対手はレンネンカンプであった。」(J・W・ウイーラー・ベネット「ヒンデンブルグからヒトラーへ」木原健男訳 26~27 東方出版社 1978) しかし1991年にアメリカのデニス・ショワルターが詳細に歴史を検討した結果、当時レンネンカンプは重傷を負い入院中であり、奉天駅でサムソノフと邂逅することはあり得ないことを明らかにしている。
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