語り手と視点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:26 UTC 版)
この小説は、全知な存在の視点からのナレーションがない。(第二章:時は過ぎる を除く)その代わり、それぞれの登場人物の意識の流れの視点に次々と乗り移っていく形で小説の構造が展開される。視点の切り替えは文中ですら行われる事があり、その切り替えようは、灯台が光を旋回させる様とある意味似ているとも言える。しかし、ジェームズ・ジョイスと違い、ウルフは登場人物の思考の手順をぶつ切りの断片的な一節であらわそうとはしない。彼女の手順は、もっと叙情的な言い換えによるものだ。全知な存在の視点が欠如していることは、小説の全ての部分で、読者に対し明快な指針があるわけではなく、大部分が道徳的に不透明な小説であるため、登場人物の展開を通じてのみ、我々読者が考え、視野を構築、開拓することができるということをあらわしているのだ。 第一章では登場人物の経験と、実際の経験、取り巻く環境、これらの間の関係性の描写に注力されているが、第二章「時は過ぎる」では、登場人物が先の関係性において言及されることがなく、出来事を異なった視点で表現している。その代わり、ウルフはこの章を、どの登場人物との相関性もない第三者の視点から描き出しており、出来事を時系列にそったものとして認識されるように仕立てている。そのために、第三者の語り口はどこにも焦点を合わせず、ゆがめられたものであり、ウルフの言う「私たちが関与しないときの生」の一例になっている。
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