認識論的起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 17:02 UTC 版)
文化相対主義に似た思考を求めれば古代ギリシアはもとより世界中の民族に見出せるかもしれないが[要校閲]、学問的にはドイツ・ロマン主義や啓蒙時代から伝統を引き継いだとされている。19世紀後半のドイツは、民族Volkが担う文化Kulturは、土地や言語さらには人種と結びついた複合体となり、きわめて排他的な社会作用として機能していた。その認識論的起源はカントの弟子ヘルダーの文化的多元論にあるという。 「われわれの間だけでも、 ものの感じ方のありさまがいかに異なっているかに注意を払い、さらにこの地上のさまざまな風土のもとで暮らしている多くの人々のことを考える時、大波がうち寄せては返す大海を前にしているような気持ちにとらわれずにはいない。 すべての人間は、 彼自身の尺度をもっているのだ。 — ヘルダーまたその類
※この「認識論的起源」の解説は、「文化相対主義」の解説の一部です。
「認識論的起源」を含む「文化相対主義」の記事については、「文化相対主義」の概要を参照ください。
- 認識論的起源のページへのリンク