記録と伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 04:33 UTC 版)
「マルコ (福音記者)」の記事における「記録と伝承」の解説
エルサレムの住人であったマルコの名前がはじめて現れるのは『使徒行伝』であり、天使によって牢獄から解放されたペトロが「マルコとよばれるヨハネ」の家に行ったという記述である。 ヨハネ(マルコ)はパウロの最初の宣教旅行にバルナバと同行したが、パンフィリア州から一人エルサレムへ帰ってしまった。そのため第二回宣教旅行ではパウロがマルコの同行を拒否してバルナバと別行動をとることになる。マルコは結局バルナバと共にキプロス島へ向かった。これは西暦50年頃のことと推定される。使徒行伝ではマルコについての記述はここで終わっている。 一方、『フィレモンへの手紙』では協力者の一人としてパウロはマルコの名前をあげている。獄中書簡である『フィレモン』の成立時期は一般に上述の事件より後と考えられており、ある説では、決別とフィレモンへの手紙の間に、パウロとマルコが和解したと考える。また、パウロの書簡かどうか説が分かれている『コロサイ人への手紙』では、「バルナバのいとこ」マルコがパウロの協力者として挙げられている。 またマルコは伝承によればアレクサンドリアの教会の創建者であり、正教会(ギリシャ正教)とコプト正教会(非カルケドン派)の両派で初代アレクサンドリア総主教とされている。 また、最後の晩餐の会場(使徒言行録1:15で使途が集まっている場所も同一であろう)の家主がマルコの両親であるという説や、マルコによる福音書14:51にある裸で逃げた青年というのがマルコであるという説もある。
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