触雷沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 02:05 UTC 版)
「フライアー (潜水艦)」の記事における「触雷沈没」の解説
8月2日、フライアーは2回目の哨戒でマスケランジ (USS Muskallunge, SS-262) とともに南シナ海およびインドシナ半島沿岸に向かった。ルートはロンボク海峡からマカッサル海峡、セレベス海、スールー海を通過し、バラバク海峡から哨戒海域に向かうもので、フリーマントルからアメリカ潜水艦が南シナ海に向かう最短のルートであった。8月12日22時頃、バラバク海峡を浮上して航行していたフライアーは機雷に接触する。18ノットの速度で航行していたフライアーは一分にも満たない時間、20秒から30秒ほどで沈没した。クローリー艦長を含む乗組員の数名は艦橋で見張りを行っていたが、触雷の衝撃でフライアーから海中に放り出された。放り出された者らは、燃料油の臭いが立ち込める暗闇の海で立ち泳ぎをしながら大声で名前を叫びながら集合した。クローリー艦長以下14名が生き残り、その他72名の士官と兵員は艦と運命を共にした。彼らは、この地点が陸地からわずか3マイルの位置にあることを知っていたが、曇った夜に順応することができなかった。クローリー艦長は生存者に対して、方向を決定することができるまで立ち泳ぎをするよう命令した。 この時点での生存者は、クローリー艦長の外は以下のとおり。ジェームス・W・リデル中尉、アルヴィン・E・ジェイコブソン少尉、ウィリアム・L・レイノルズ、ジョン・E・キャセイ、パウル・ナップ、フィリップ・S・メイヤー、ウェスリー・B・ミラー、アーサー・G・ハウエル、ドナルド・P・トリマイン、ジェームス・D・ルッソ、アール・R・バウルガート、エドガー・W・ハドソン、チャールズ・D・ポープ、ジェラード・F・マテオ。
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