親類関係と起源論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/16 19:05 UTC 版)
何人かの学者はフルリ人が、未知の場所から紀元前2700年頃コーカサス山脈に到着した後のアルメニア人のような隣人達と混合して成立したと信じている。別の説では、アルメニア人がフルリ人とともに、インド・ヨーロッパ語族の故地からコーカサスに移住したとされる。 I・J・ゲルブとE・A・シュパイザー(en:E. A. Speiser)は、スバル人が北メソポタミアの言語的基層であり、フルリ人が到着したのはかなり遅い時期であると主張した。 トルストフ(en:Tolstov)は、フルリ人がホラズムの創設者であると考えた。彼はホラズムが「フルリ人の土地」を意味すると主張した。 聖書学者は、フルリ人が旧約聖書に登場するホリ人、ヒビ人、およびエブス人であると確信した。ただし、そのような関連性を裏付ける証拠はほとんどない。ケセディム(Kesedim)を含む古代の領域の幾つかの民族、スバル人(Subarian)、グティ人(Gutian)、カッシート人(Kassite)、及びルルビ人(Lullubi)は皆フルリ人であると評されたことがある。 また、古代オリエントで活動したハビルと呼ばれる集団とフルリ人との間に関係があった可能性もある。古代オリエントで紀元前1千年紀半ば頃の文書に登場するハビル、あるいはハピルと呼ばれる人々は、その存在が知られた当初、音的類似から後のヘブライ人の前身であるとする説も唱えられた人々である。しかし、20世紀半ば頃までの研究で、ハビルと呼ばれる人々は基本的には血縁、地縁に基づいたエスニックなグループとは言いがたく、当時のオリエントの社会秩序を逸脱したと見なされていた一種の社会集団であったと見なされるようになった。 そして、1996年のハビル四角柱碑文(Tikunani Prism)と呼ばれる粘土板文書の公刊によってハビルとフルリ人の関係が重要視されるようになった。ここに登場するハビル人名リストの中に現れる人名の約20%程度は、典型的なフルリ語の名前であったのである。神名などフルリ的な要素を持つ人名を加えれば更に増える。このため、ハビルと呼ばれた社会集団とフルリ人との間の関係性が取りざたされるようになっている。ただし、バビロニア地方のハビル人名表に登場するハビルの人々の名前は圧倒的にバビロニア語(アッカド語)であり、ハビルはフルリ人であったというような単純な同定はできそうもない。
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