親独派レジスタンス運動と武装親衛隊
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「ラリー・ソーン」の記事における「親独派レジスタンス運動と武装親衛隊」の解説
1944年9月19日、フィンランドとソ連の間でモスクワ休戦協定が締結され、継続戦争は終結した。しかしトルニは、駐留ドイツ軍をフィンランド軍が排除するべきと定めたこの協定を受け入れることが出来なかった。トルニはフィンランド国防軍を脱走し、ナチス・ドイツの特殊部隊ゾンダーコマンド・ノルトから支援を受けつつ、ソビエト連邦が全土を掌握したフィンランドで親独派レジスタンス運動を設立した。この時期にはトルニ以外にも多くの国防軍将校が密かに親独派レジスタンスに協力し、各種の軍事訓練を行っていた。まもなくしてラップランド戦争が勃発すると、これらの抵抗運動はドイツ軍に協同してソ連軍の側面を攻撃した。 1945年1月22日、トルニと数人のフィンランド人将校はドイツ側の申し出に応じ、ブラックスナシン(Blacksnäsin)の漁村沖からUボートに乗り込み、ドイツ本土へと渡った。彼らは破壊工作の訓練を受けた後に武装親衛隊へ配属され、ゾンダーコマンド・ノルトの隊員としてフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、そして東部戦線などで各種の特殊作戦に従事した。4月15日、トルニは武装親衛隊大尉への昇進を果たした。その後、デンマークにおける作戦中にイギリス軍(資料によってはアメリカ軍とも)によって捕えられ、捕虜収容所に収監されているが、トルニはすぐさま脱走した。
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