親王の任国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:39 UTC 版)
諸国の任国の内、上総国、常陸国、上野国の三ヶ国は、親王の任国として、その長官を「太守(たいしゅ)」と言った。しかし、皇族であるため赴任はせず、ただ俸給のみをとっていたことから、欠員があっても俸給は他に使わず、無品(むほん)親王方のご入り用にあてられていた。この三ヶ国を親王の任国としたのは、淳和天皇(延暦5年(786年) - 承和7年5月8日(840年6月11日)、在位:弘仁14年4月27日(823年6月9日) - 天長10年2月28日(833年3月22日))の御代から始まったものである。後醍醐天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))の御代には、陸奥国も親王の任国とされ、義良(よしなが)親王(後村上天皇(在位:延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日) - 正平23年/応安元年3月11日(1368年3月29日))を太守としたことが「神皇正統記」に記載されている。
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