西鉄による計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:46 UTC 版)
5社合併で成立した西鉄は、1943年(昭和18年)、黒崎 - 福岡間の鉄道敷設を出願した(計画は博多湾鉄道汽船時代のものと同じ)が、太平洋戦争の戦局悪化により却下された。戦後の1946年(昭和21年)に西鉄が「筑豊電気鉄道」の名で再び黒崎 - 福岡間の鉄道敷設を出願したが、これも却下された。 その後、西鉄では1949年(昭和24年)に三たび黒崎 - 福岡間の鉄道敷設を出願し、1年後の翌1950年(昭和25年)12月23日付で地方鉄道敷設免許(鉄監第2043号)を取得、1951年(昭和26年)2月15日 に黒崎 - 福岡間の運営会社として筑豊電気鉄道を設立した。 1954年(昭和29年)に計画を一部修正し、八木山に4.5kmのトンネル、遠賀川に360mの橋梁を架ける方針に変更。黒崎 - 直方16.3km、直方 - 飯塚13.6km、飯塚 - 福岡27.5kmの3つの工区に分け、第1工区として黒崎 - 直方間の工事に着手。しかし、実際には黒崎ではなく、貞元(現在の熊西)から直方へ向けて工事が始まり、1956年(昭和31年)3月21日に貞元 - 筑豊中間間が開業した。
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