西脇呉石
西脇呉石
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西脇 呉石(にしわき ごせき 1879年(明治12年)3月8日 - 1970年(昭和45年)11月7日)は、日本の書家。名は静、字は如練・子遠[1]。
- ^ 「如練」の号は主に戦前までしか使われていない(特別展覧会「生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石」展示解説より)。
- ^ 教科書の書と展覧会の書は全く別の芸術観で書いたとの説がある(林淳「西脇呉石の芸術書観-教科書揮毫者との二面性-」『書論』45号200ページ)。
- ^ 林淳『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1700基-』収録「西脇呉石石碑一覧表」(勝山城博物館 2018年)
- ^ 西脇呉石「鳴鶴先生を偲びて」『書之友』第2巻第6号(P26、雄山閣、1936年)
- ^ 近藤雪竹、渡辺沙鴎らを抑えての受賞。
- ^ 呉石は3歳で分家である西脇要右衛門の養子となった。要右衛門は勝山藩最後の藩主小笠原長守の祐筆であった人物(『特別展覧会生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石』展図録P3)。
- ^ 『特別展覧会生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石』展図録(PP.55-56、勝山城博物館、2019年)
- ^ 国定第3期乙種の教科書。各学年上下2冊の計12冊を揮毫。前年に委嘱をうけ、この年発行された。
- ^ OCLC 34622979
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