西淀川区女児虐待死事件とは? わかりやすく解説

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西淀川区女児虐待死事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 04:56 UTC 版)

西淀川区女児虐待死事件(にしよどがわくじょじぎゃくたいしじけん)とは、2009年平成21年)に発生した女児虐待死事件。

被害者は過去に芸能活動の経験があるが以下の記事では匿名とする

概要

2009年平成21年)4月7日大阪府大阪市西淀川区の小学4年生の9歳女児が行方不明となり、親によって西淀川警察署に家出人捜索願が出され、大阪府警が捜査[1]

その後、女児の母親(当時34歳)と内縁の夫(当時38歳)、知人の男(当時41歳)の3人を任意で事情聴取。同居の男が「女児が家のベランダで死んだので、遺体を奈良県に埋めた」と供述。4月23日奈良県奈良市柳生下町の山中にある墓地で、供述通り女児の遺体が見つかった[1]。そして女児母親と内縁の夫と知人の男が死体遺棄容疑で逮捕された[1]

被害女児に生前の1月中旬から顔にアザがあることを被疑者に追及すると、被害女児は内縁の夫と女児母親から日常的な虐待を受けていたこと、また3月下旬以降は内縁の夫によって被害女児がベランダに放置されていることが日常的に行われていたことが判明する[2][3]

女児への虐待

内縁の夫と女児母親は2009年3月中旬以降、被害女児に対して木刀やプラスチック製バットで殴打する、ドアに叩きつけるなどの非常に激しい折檻を毎晩長時間にわたって深夜まで加え続けた。また、毎晩ベランダに締め出し、寒空のもと防寒・寝具なしで寝ることを強要した[4]。被害女児は硬く冷たい床にシート1枚という劣悪な環境下に連日晒された[4]。そのため睡眠がまったく取れず異常な睡眠不足状態に陥り、室内で行われた折檻の途中に眠りに落ちてしまうこともあった。これが男と母親の怒りを買い、虐待はさらにエスカレートした。 

被害女児の1日の食事は残り物の白米で作った塩などの味付けの無いおにぎり1つのみ、もしくはバナナ1本のみしか与えられず、栄養失調状態であった[5]。また、水分摂取も著しく制限され、1日に500mlしか受け取ることができず、これは1日の必要量を大幅に下回る量だった[6]。また、被害女児は喘息を患っていたにもかかわらず、喘息の薬を一切受け取れなかった。この食事制限・水分制限は毎日のことで、そのため被害女児は連日寒さに凍えながら異常な空腹と喉の渇きに苦しみ、喘息の発作を起こしても薬も与えられず水も飲めないという激しい苦痛に晒され続けた。検察をして「9歳の女の子が一身に受けるにはあまりにも強烈な虐待で、被害女児の味わった苦しみは想像に余りある」と言わしめた一連の激しい虐待・ネグレクトにより、やがて被害女児は酷く衰弱し、立つこともままならなくなってしまった[7]。トイレに行きたくてもトイレまで行くことができず、失禁が度重なった[8]。被害女児が衰弱死した前夜も、衰弱しきっている被害女児に対し、置き去り(失禁)、殴打・平手打ち、正座の強要、ナイフによる恫喝、玄関からの締め出し、ベランダへの放置という苛烈な虐待が行われた[8][9]

死亡した当日の被害女児は、肌着1枚の上に直接スウェットの上下に裸足という冬の寒さには到底耐えられない服装でベランダに放置されていた[3]

4月5日、ベランダで衰弱死している被害女児を同居の男が発見し、遺体を奈良県奈良市柳生下町の山中に埋めた[10]

捜査

2009年(平成21年)5月13日大阪地検は3人を死体遺棄罪で起訴した[11]

2009年(平成21年)5月21日、大阪府警は母親と内縁の夫を保護責任者遺棄致死容疑で再逮捕した[12]。なお、知人の男は関与が薄いとして同罪の立件を見送った[12]。また、殺人傷害致死容疑での立件も検討したが、暴行と死亡の因果関係から殺意を立証するのが困難なため、こちらも適用を見送った[12]

2009年(平成21年)6月10日、大阪地検は母親と内縁の夫を保護責任者遺棄致死罪で追起訴した[13]

刑事裁判

母親の知人の男の裁判

2009年(平成21年)8月14日大阪地裁(幅田勝行裁判官)で初公判が開かれ、罪状認否で起訴事実を認めた[14]。同日の公判では、母親が「虐待の跡がわからなくなるよう焼いてしまうか、工業団地に埋めることを提案した」と述べた捜査段階の供述調書などが読み上げられた[15]

2009年(平成21年)8月21日論告求刑公判が開かれ、検察官は「虐待を目にしていながら警察などに通報せず、死亡後は安易に死体遺棄に加担した」として懲役2年6か月を求刑、裁判が結審した[16]

2009年(平成21年)9月4日、大阪地裁(幅田勝行裁判官)で判決公判が開かれ、裁判官は「人目につきにくい山里に遺体を埋めた悪質な犯行だが、関与は従属的で反省している」として懲役2年6か月、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した[17]

母親の裁判

2010年(平成22年)7月12日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、罪状認否で起訴事実を概ね認めたが「被害女児が亡くなるほど弱っているとは思わなかった。(内縁の夫と)共謀したつもりはない」と述べて内縁の夫との共謀を否認した[18][19]

冒頭陳述で検察官は「内縁の夫の愛情を失うことを恐れ、自ら女児の頬をつねりあげたうえ、内縁の夫の暴力を黙認するなど共謀は明らか」と指摘した上で「虐待の発覚を恐れて学校を休ませ、虚偽の捜索願を出した」と述べた[19]。一方、弁護人は「躾を振りかざして虐待する内縁の夫に、表向き調子を合わせながらエスカレートしないように宥めていただけ」と述べて内縁の夫との共謀を否定した[19]。同日の公判を傍聴した女児の父親は「被告が反省しているからといって、罪が軽くなるのはおかしい。たとえ極刑でも心が晴れることはないが、厳しい判決を求めたい」と述べた[20]

2010年(平成22年)7月13日、母親の知人の男が検察側証人として出廷し、「母親は衰弱して玄関に横たわっていた女児に『邪魔』と言っていた」と証言した[21]。同日の公判では内縁の夫も出廷したが、「自分の公判で明らかにしたい」と述べて証言を拒否した[21]

2010年(平成22年)7月14日、検察官は、内縁の夫がベランダに横たわった女児の様子について「横たわったまま右手を動かし『ひまわりを探している』と言っていた」「(死亡直前の)午後3時前に『まだここで寝んの』と聞くと『ここで寝る。おやすみなさい』と言った。その後、身動き一つしなくなった」と述べた供述調書を読み上げた[22]。また、内縁の夫の供述調書で「一番激しく叩いたり蹴ったりしたときも、そばで『何でわからへんの』と娘を叱っていた」などと述べた部分を朗読し、内縁の夫の虐待に同調していたと強調した[22]

2010年(平成22年)7月16日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「大好きだった母親に見捨てられた被害女児の絶望感は察して余りある。社会に与えた影響も大きく、断固とした処罰が必要」として懲役12年を求刑した[5][23]。同日の最終弁論で弁護人は「母親は深く反省している」として執行猶予付きの懲役3年が妥当と主張、裁判が結審した[23]

2010年(平成22年)7月21日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「被害女児の人格を一切顧みない、卑劣で悪質な犯行。唯一頼るべき存在だった被告から、『邪魔』などと冷淡で非情な言葉を浴びせられた被害女児の絶望感は察するに余りある」として懲役8年6ヶ月の判決を言い渡した[24]8月3日、判決を不服として控訴した[25]

2011年(平成23年)4月8日大阪高裁(古川博裁判長)は「内縁の夫との生活が瓦解するのを避けるため、虐待行為に同調、助長していた」として一審の判決を支持、控訴を棄却した[26]4月15日までに検察側と被告側が最高裁上告する上訴権を放棄したため、懲役8年6ヶ月の判決が確定した[27]

内縁の夫の裁判

2010年(平成22年)7月23日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、罪状認否で「食事を抜いたり手を上げたりしたが虐待ではない。普通の親が子に対して行う態度だと思っていた」と述べて虐待を否認し、保護責任者遺棄致死罪について無罪を主張した[28][29]

2010年(平成22年)7月29日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「虐待を主導したのは被告で、被害女児が味わった苦しみは想像に余りある」として懲役17年を求刑した[7]。同日の最終弁論で弁護人は「被害女児が極度に衰弱していたとは証拠上認められない」として保護責任者遺棄致死罪について無罪を主張、裁判が結審した[7]

2010年(平成22年)8月2日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「被害女児が受けた苦痛や絶望感は察するに余りあり、一貫して虐待を主導した」として懲役12年の判決を言い渡した[30]。しかし、検察官の求刑について「どのような点を重視し求刑に至ったのか説明が尽くされていない」として同種の事件と比較して求刑が重過ぎると指摘した[30]8月9日、判決を不服として控訴した[31]

2011年(平成23年)6月28日、大阪高裁(上垣猛裁判長)は一審の判決を支持、控訴を棄却した[32]

脚注

  1. ^ a b c 読売新聞』2009年4月24日 全国版 東京朝刊 一面1頁「女児遺体遺棄容疑で母ら逮捕 今月上旬から不明/大阪府警」(読売新聞東京本社
  2. ^ 『読売新聞』2009年4月24日 全国版 大阪夕刊 夕一面1頁「大阪・西淀川の女児遺棄 虐待日常的に 妹転居後に集中か」(読売新聞大阪本社
  3. ^ a b 『読売新聞』2009年4月25日 全国版 東京朝刊 社会35頁「女児死亡 連日ベランダに閉め出し 1週間目撃される/大阪府警調べ」(読売新聞東京本社)
  4. ^ a b 朝日新聞』2009年4月30日 朝刊 2社会24頁「死亡前4日間、焦点 虐待と関連調査 大阪・西淀川事件から1週間【大阪】」(朝日新聞大阪本社
  5. ^ a b 『朝日新聞』2010年7月16日 夕刊 2社会14頁「実母に懲役12年求刑 弁護側「猶予判決を」大阪・西淀川の虐待死【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  6. ^ 『読売新聞』2009年5月22日 全国版 大阪夕刊 夕社会13頁「大阪・西淀川の女児遺棄致死 1日水500ミリ・リットルだけ ベランダに放置」(読売新聞大阪本社)
  7. ^ a b c 『読売新聞』2010年7月29日 全国版 大阪夕刊 夕社会11頁「西淀川衰弱死 内縁の夫懲役17年求刑 検察側「虐待を主導」」(読売新聞大阪本社)
  8. ^ a b 『朝日新聞』2009年5月15日 朝刊 1社会19頁「死亡直前10時間前後、放置か 「前夜に夫暴行」供述 大阪・西淀川事件捜査【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  9. ^ 『朝日新聞』2009年4月25日 朝刊 1総合1頁「虐待情報、警察「届かず」激しい物音、110番通報も 西淀川・女児死亡【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  10. ^ 『読売新聞』2009年4月24日 全国版 大阪朝刊 一面1頁「不明女児の母ら3人、遺棄容疑で逮捕 奈良で遺体発見/大阪府警」(読売新聞大阪本社)
  11. ^ 『読売新聞』2009年5月14日 全国版 東京朝刊 社会35頁「女児遺体遺棄 母親らを起訴/大阪地検」(読売新聞東京本社)
  12. ^ a b c 『読売新聞』2009年5月21日 全国版 大阪朝刊 社会29頁「西淀川・女児死亡 母親と内縁夫を再逮捕へ 保護責任者遺棄致死容疑/大阪府警」(読売新聞大阪本社)
  13. ^ 『読売新聞』2009年6月11日 全国版 大阪朝刊 社会33頁「西淀川遺棄 正座「話をさせて」強制 知人男が供述 母ら追起訴」(読売新聞大阪本社)
  14. ^ 『朝日新聞』2009年8月15日 朝刊 1社会31頁「「母が遺体焼却提案」検察側、調書朗読 西淀川虐待、遺棄罪被告の初公判【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  15. ^ 「虐待隠すため焼こう」実母が提案 共犯公判で検察指摘」『朝日新聞朝日新聞社、2009年8月15日。オリジナルの2009年8月17日時点におけるアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
  16. ^ 『朝日新聞』2009年8月22日 朝刊 1社会35頁「遺棄共犯被告「何もしてやれんでごめんな」大阪・西淀川虐待死【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  17. ^ 『読売新聞』2009年9月4日 全国版 大阪夕刊 夕社会13頁「西淀川・女児遺棄 共謀の男に猶予判決 大阪地裁「悪質だが従属的」」(読売新聞大阪本社)
  18. ^ 『読売新聞』2010年7月12日 全国版 大阪夕刊 夕社会21頁「西淀川小4虐待死 母親、共謀を否認 初公判「死ぬほど衰弱と思わず」」(読売新聞大阪本社)
  19. ^ a b c 【◯◯さん虐待死】実母、内縁夫との共謀否認、死体遺棄は認める 大阪地裁」『MSN産経ニュース産業経済新聞社、2010年7月12日。オリジナルの2010年9月3日時点におけるアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
  20. ^ 【◯◯さん虐待死】「極刑でも心晴れない」祖父母・実父、厳罰望む」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2010年7月12日。オリジナルの2010年8月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
  21. ^ a b 【◯◯さん虐待死】母、衰弱わが子に「邪魔」 公判で知人が証言」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2010年7月14日。オリジナルの2010年7月17日時点におけるアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
  22. ^ a b 【◯◯さん虐待死】ベランダで最期の言葉「ここで寝る。おやすみなさい」 公判で内夫の供述調書を証拠採用」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2010年7月14日。オリジナルの2010年8月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
  23. ^ a b 『読売新聞』2010年7月16日 全国版 大阪夕刊 夕社会17頁「西淀川小4死亡 母親に懲役12年求刑 検察側「虐待黙認明らか」」(読売新聞大阪本社)
  24. ^ 『読売新聞』2010年7月22日 全国版 大阪朝刊 2社30頁「西淀川小4衰弱死 虐待母に懲役8年6月 内縁夫と共謀認定 大阪地裁判決」(読売新聞大阪本社)
  25. ^ 『読売新聞』2010年8月6日 全国版 大阪朝刊 社会27頁「西淀川虐待死 母控訴」(読売新聞大阪本社)
  26. ^ 『読売新聞』2011年4月9日 全国版 大阪朝刊 社会37頁「小4衰弱死 母親の控訴棄却 懲役8年6月 大阪高裁支持」(読売新聞大阪本社)
  27. ^ 『朝日新聞』2011年4月16日 朝刊 3社会31頁「大阪・西淀川の虐待死、母の実刑確定【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  28. ^ 『読売新聞』2010年7月23日 全国版 大阪夕刊 夕社会13頁「西淀川小4衰弱死初公判 内縁の夫が虐待否認 「死ぬと思わなかった」」(読売新聞大阪本社)
  29. ^ 『朝日新聞』2010年7月23日 夕刊 1社会11頁「内縁夫、虐待否認 大阪・西淀川事件初公判、遺棄罪は認める【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  30. ^ a b 『読売新聞』2010年8月3日 全国版 大阪朝刊 社会35頁「西淀川虐待死 内縁夫に懲役12年 地裁判決 求刑17年「重過ぎる」」(読売新聞大阪本社)
  31. ^ 『読売新聞』2010年8月11日 全国版 大阪朝刊 2社26頁「虐待の内縁夫が控訴」(読売新聞大阪本社)
  32. ^ 『読売新聞』2011年6月28日 全国版 大阪夕刊 夕2社12頁「内縁夫の控訴棄却」(読売新聞大阪本社)

関連書籍

  • 川﨑二三彦,増沢高「日本の児童虐待重大事件 2000-2010」(福村出版)

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