西ヶ原校舎と戦災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:38 UTC 版)
「東京外国語学校 (旧制)」の記事における「西ヶ原校舎と戦災」の解説
竹平町仮校舎の時代を経て東京外語は最終的に1940年7月24日滝野川区西ヶ原町(現北区)の元海軍爆薬部跡に木造校舎を新築、1944年5月31日までに竹平町から書庫を除き西ヶ原新校舎への移転が完了した(西ヶ原校舎)。しかし西ヶ原校地は早くも翌45年4月13日の戦災で校舎等が全焼、このため板橋区上石神井1丁目79番地の智山中学校校舎および東京工業専門学校の電波兵器技術専修学校跡地を仮校舎として借用(石神井校舎)し、前者を「本館」、後者を「旧館」と称した。このような苦労を経て学制改革による新制移行直前の1949年3月23日ようやく西ヶ原校地に木造校舎が新築され復帰を果たすことができた。西ヶ原校地は東京外大西ヶ原キャンパスとして継承され戦後長く使用されたが、2000年以降の府中キャンパスへの移転により現在は廃止されている(2007年4月現在、跡地には防災公園および福祉施設の設置が計画されており、後者の建設は既に着手され2008年完成予定である)。また石神井仮校舎の跡地には、現在かつての本館跡に早稲田大学高等学院・中学部、旧館跡に東京学芸大学生寮が建てられている。
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