補助機関車(補機)の連結・解放迅速化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:40 UTC 版)
「つばめ (列車)」の記事における「補助機関車(補機)の連結・解放迅速化」の解説
運転開始当時の東海道本線は現在の御殿場線経由であり、25 ‰の勾配を有する急峻な山越え区間があった。このため、下り列車は国府津から、上り列車は沼津から、御殿場駅まで後部補助機関車を連結する必要があった。「燕」はこの連結作業時間をわずか30秒に切り詰め、なおかつ補機の切り離しは、御殿場駅付近通過中に走りながら行った。この結果運転開始当初の「燕」は、下りは国府津から名古屋まで、上りは名古屋から沼津までノンストップとなった。この補機連結は、1934年(昭和9年)12月、丹那トンネル開通によるルート変更によって解消されるまで続いた。一方、大垣駅 - 関ヶ原駅間にも同様に25 ‰の急勾配が存在していた。この区間は片勾配で、下り列車に限り大垣駅から補機を連結する必要があったが、下り「燕」はここでも国府津駅・沼津駅と同様の30秒停車で早業連結し、登坂し終えた柏原駅付近で走行中に切り離した。
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