裁定文に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 09:08 UTC 版)
裁定の前日である11月30日の夜に、椎名は三木を総裁に選出する裁定を下す旨を、三木側近の産経新聞記者である藤田義郎に伝え、裁定文の草案を書くことの連絡を入れていた。藤田はそのことを三木に伝えると、三木は「藤田君、その裁定文は後世に残る天下の名文にしなければならん。ボクが書く。徹夜してでもボクが書く。」と言い出したが、興奮し過ぎていた三木は結局書くことができなかった。裁定文の草案は藤田がほとんど書き上げたが、三木は「新総裁には、この際、三木武夫君がもっとも適任」という文の「三木武夫」の上に「政界の最長老である」という文言を加えるよう注文をつけた。 その後藤田が椎名に裁定文の草案を渡し、椎名はさらに文案を練り直す。その過程で椎名は三木が加筆させた文言から「最」の文字を削って、これを「政界の長老である三木武夫」に改めている。三木は1937年の総選挙で初当選したが、当時の国会には1930年の総選挙で初当選した船田中がおり、また、当の椎名自身も当選回数は三木よりも少なかったが、三木より年長だったことにより、三木は必ずしも政界「最」長老ではなかったのである。
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