裁きと刑罰の男女差
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
18世紀半ばに成立した『公事方御定書』では密通で妻の貞操が犯された場合、夫はその男女を殺害しても罪に問われないとされた。経済的に余裕のある夫が妾をもったり娼婦を買ったりする事と比べると、男女差は明確である。また既婚女性に対する強姦犯は死罪であるのに対し、未婚女性に対する強姦は重追放と罪の重さが違う。こうした犯罪は女性の人格侵害よりも、妻を管理する夫の権利の侵害の方が重く見られていた。一方で密通以外の刑罰について男女の性差はなかったが、江戸時代後期に諸藩で制定された刑法典のひとつ、熊本藩の『御刑法草書』では殺人などの「死罪にあたるほどの罪を犯した女性以外には刑罰を科さない」「刺青や強制労働を科さない」「拷問、刑罰は産後100日間まで免除」などの一定の保護があった。こうした区別が生まれた背景は「女性はわきまえ無く道理が分からないから」「女性は男性の勧めのままに罪を犯す」(『古類集』)など「女性に責任能力の欠如がある」という前提があった。 刑罰では女性にしか見られない罰がある。「奴」は望む者の家に罪を犯した女性を下げ渡し、家内労働に使役させる刑罰と思われる。「髪を剃る」は剃髪する刑罰で、婚姻規範を破った女性に科された。一方で男性にしか科されない「敲き(たたき)」は公衆で上半身裸にして麻糸などで巻いた竹で叩く刑罰で、女性は入牢で代替した。
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