袁世凱の下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 14:45 UTC 版)
中華民国が成立すると、張紹曽は袁世凱から長江宣撫使として再起用され、孫文(孫中山)ら革命派との調停役を務めた。1913年(民国2年)5月、進歩党の名誉理事に就任した。同年10月、綏遠将軍に任命され(署理としては前年10月から)、蒙古王侯貴族の安撫、地位保障などにつとめた。1914年(民国3年)4月に、北京へ召還され、民国4年(1915年)に陸軍訓練総監をつとめる。袁が皇帝即位を画策した際には、張は、曹錕とともに直隷省公民代表として、袁に即位を求める請願書を上程した。 袁世凱死後は、張紹曽は直隷派に接近し、安徽派の段祺瑞とは対立した。1916年(民国5年)12月、全国陸軍訓練総監の地位に就く。張勲復辟の際には、馮玉祥とともに張勲討伐を図ったが、段に先を越されてしまう。さらに張勲討伐画策を叛逆行為とみなされ、陸軍総監から罷免されてしまった。
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