衰退と再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:44 UTC 版)
中世には荒廃するも、貞享年間頃に僧・弁意の手により再興した。その後、「青峰に参ると風雨の難を免れる」という青峰信仰が広がり、江戸時代中期には廻船業の隆盛により正福寺も栄えた。特に文化・文政期(1804年 - 1831年)に最盛期を迎え、尾張や大坂、伊勢、津から鳥羽港や的矢港へ入港した廻船・問屋によって支えられた。奉納の世話は地元の鳥羽・的矢・河崎・千賀(せんが)・堅子の住民が行っていた。 鳥羽市指定文化財となっている石灯籠は御影石製の高さ7mの常夜灯であり、「天保八丁酉年五月 海上安全」の銘文が刻まれている。これは1837年6月のことで、水野忠邦失脚からおよそ2年後にあたり、海運史上では同時代の転変を示す唯一の具体例であり、貴重なものである。
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