蜂須賀家墓所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:28 UTC 版)
蜂須賀家の家祖蜂須賀正勝(小六)と正室・松(大匠院)の墓は、他の歴代の墓とは離れた場所にある。 正勝のほか、藩祖蜂須賀家政、徳島藩初代至鎮から13代斉裕までの墓が営まれている。ただし、7代宗英の遺体は京都の清浄華院に埋葬され、興源寺の墓には遺髪を納める。10代重喜の時に万年山(徳島市佐古山町)に儒教式の墓を新たに造営し、8代宗鎮の遺体は万年山に改葬された。8代及び10代から13代までの藩主については万年山と興源寺の両墓制となり、遺体は万年山に葬られ、興源寺の仏教式の墓には遺髪を納めている。 蜂須賀至鎮 蜂須賀忠英 蜂須賀光隆 蜂須賀綱通 蜂須賀綱矩 蜂須賀宗員 蜂須賀宗英 蜂須賀宗鎮 蜂須賀至央 蜂須賀重喜 蜂須賀治昭 蜂須賀斉昌 蜂須賀斉裕 蜂須賀吉武 蜂須賀重矩 大匠院 善性院 賀代姫 渋谷安太夫 民澤作右衛門 即心院 - 供養塔
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