興源寺墓所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/08 17:34 UTC 版)
「徳島藩主蜂須賀家墓所」の記事における「興源寺墓所」の解説
家祖である正勝から13代藩主斉裕までの墓がある。元来、蜂須賀家菩提寺としては徳島城内に藩祖家政の異父兄で臨済宗の僧となっていた東嶽が開山した江岸山福聚寺(こうがんざん ふくじゅじ)があった。1586年(天正14年)家政は下助任町に菩提寺を移し、2代忠英が1636年(寛永13年)に大雄山興源寺と改めた。寺院と藩主家の墓域とを築地塀で隔てて墓所が造営され、以後、13代斉裕までの墓が築かれた。家祖正勝の墓のみは塀の外にある。 8代宗鎮および10代重喜以降は、佐古山町の万年山墓所に埋葬され、興源寺墓所には遺髪のみの拝み墓が築かれた。 現在、興源寺自体は縮小し昔日の面影はないが、墓所は1985年(昭和60年)より徳島市によって整備され墓地公園(助任緑地)となっている。
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