蜂須賀家へ仕官後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 03:51 UTC 版)
山田宗重は兄・宗俊の歿後、蜂須賀正勝に仕えて、志津、山高北荘の城攻め、泉州岸和田攻め、日向高鍋城攻め、相州小田原攻め、朝鮮征伐、関ヶ原合戦などに従軍。 特に岸和田城の合戦では軍功著しく蜂須賀正勝より「朱塗りの柄の槍」を褒賞として賜った。 天正13年(1585年)、蜂須賀家政が阿波国へ入ると宗重も家臣としてこれに付き従ったが、この時、仁宇城主・仁宇伊豆守らが蜂須賀氏の入領に反対して仁宇谷一揆を起こした。山田宗重は、仁宇伊豆守を討ってこの動乱を鎮圧した為、その功を賞せられ仁宇谷と荒田野の領地を賜った。 宗重は仁宇城代として知行5000石を有し、のち和食(現・徳島県那賀郡那賀町)に居城を移す。
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