虐殺映像の公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:07 UTC 版)
「スレブレニツァの虐殺」の記事における「虐殺映像の公開」の解説
2005年6月2日、ビデオ証拠が浮上した。これは、セルビアから来た警察部隊のメンバーがスレブレニツァの虐殺に関与したことを示すために、スロボダン・ミロシェヴィッチに対する裁判の中で持ち出されたものである。 ビデオはおよそ2時間35分におよんでいる。映像では、正教会の神品が兵士らを祝福する様子が写されている。そしてその後、これらの兵士たちが、捕虜たちと共に映し出されている。拘束されている捕虜たちは民間人の格好をしており、外見上明らかに虐待を受けたとみられる。後にこの捕虜たちのうち若い方の4人は16歳、2人の男性は20代前半であることが確認された。映像はその後、4人の市民の殺害の様子と、原野の上で死んでいる彼らの遺体を映し出している。この時点でカメラマンが、カメラのバッテリーの残量があまりないことを残念がる。兵士らは残された2人の捕虜たちに、4人の遺体を炎の近くまで運ぶように命じ、それが終わる頃に2人もまた殺害された。 ビデオ映像はセルビアで激しい怒りを巻き起こした。この映像が示されてから数日の間に、セルビアの政府はビデオによって特定できた元兵士らを即座に逮捕した。この出来事を最も大々的に取り上げたのは新聞ダナス(Danas)、ラジオ・テレビ放送局のB92(B92)であった。ボスニアのメディアで報道されると、ビデオ映像に映っていた犠牲者のうち、少なくとも1人の母親が、息子の殺害の様子を目にすることになった。彼女は、自分は既に息子の死を知っていたと話し、殺害の後に遺体は焼却されたこと、その遺骸は2003年にポトチャリ(Potočari)で埋葬されたことを明らかにした。
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