蘭奢待開封時の動向とは? わかりやすく解説

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蘭奢待開封時の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 06:13 UTC 版)

浄実」の記事における「蘭奢待開封時の動向」の解説

天正2年1574年3月23日織田信長から東大寺正倉院秘宝である香木蘭奢待拝見要請が、塙直政筒井順慶らを通じて浄実出された。東大寺後援者たりえる信長要請何としても応えなければならなかったが、足利将軍家以外の蘭奢待拝見前例がなく、さらにその先例の儀式故事についての伝来失われていたため、信長大和国下向する3月27日までに支度調えることは困難を極めた。さらに当時東大寺別当職が空位であったため、その補任急がれた。東大寺浄実中心として一丸となって急ぎ準備進めた3月27日大和多聞山城信長入ったため、観音院訓英とともに信長謁見し、翌日には蘭奢待拝見できる旨と、当日段取り伝えた。また同日には別当補任済ませている。翌3月28日津田信澄塙直政信長奉行衆上生院参着し、蘭奢待正倉院から取り出す式典が始まる。倉中には東大寺執行薬師院実祐が入り自身は倉の外で守護務めたその後取り出され蘭奢待を輿に乗せ、実祐・訓英とともに多聞山城参上した。多聞山城では蘭奢待切り取りが行われ、信長一片を自らのものとし、一片禁裏献上する伝えたその後信長はさらに別の名香紅沈の拝見正倉院内部拝観求めたため、その対応を行った信長退散後は事後処理にも奔走している。

※この「蘭奢待開封時の動向」の解説は、「浄実」の解説の一部です。
「蘭奢待開封時の動向」を含む「浄実」の記事については、「浄実」の概要を参照ください。

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