蘇峻起兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 17:07 UTC 版)
327年、庾亮はついに蘇峻の軍権を剥奪するべく、軍権の無い職を与えて朝廷に召喚しようと画策する。これに王導は「蘇峻は猜疑心が強いので危険である」と忠告し、また卞壼も「蘇峻は強兵であるのでもし叛逆されれば勝てない」と反対し、親しい温嶠ですらも「国家に大事を招く」と自重を求めたが、庾亮はこれら全てを無視して、郭黙を後将軍、領屯騎校尉、庾冰を呉国内史に任命して更に備えた上で蘇峻の大司農任命を強行し、軍権を蘇逸(蘇峻の弟)に移すように命じた。 この命を受けた蘇峻は朝廷が己を召喚して害しようとしていると疑ってこれを固辞しようとしたが、朝廷はこれを認めず重ねて蘇峻を呼んだ。この時、蘇峻は観念して参上しようと行装を固めたものの決意が付かずにいたが、参軍の任譲の讒言によって自衛の為に先に挙兵する事を決意する。朝廷は使者を送って更に蘇峻の参内を要求したが、ここで蘇峻は「この謀をした者に死を以て報いさせる」と叛意を露わにした。 挙兵を決めた蘇峻は祖約に遣いを送って庾亮討伐の兵を共に起こそうと誘うと、日頃より庾亮に恨みを抱いていた祖約は喜々として参軍を約束してこの企てに協力した。一方で蘇峻の叛意を知った朝廷は卞壼を尚書令、領右衛将軍、王舒を揚州刺史、虞潭を都督三呉等郡諸軍事に任命して北方の蘇峻を警戒した。
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