藪内家との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/19 01:36 UTC 版)
隨竹庵(福田家)は、茶道藪内家の分家である。 福田家は元々加賀大聖寺侯に仕えて藩医を務めた家系であり、初代隨竹庵を号した鳶斎は福田家の8代目であった。その後、代々隨竹庵を号すが、藪内9代・宝林斎が早世したことに伴い、当時3代隨竹庵であった休々斎に白羽の矢が立ち、藪内家に招かれ婿養子となり、10代藪内紹智を継承した。 休々斎はその後、宝林斎が遺した2人の男子を養育し、長男に11代を継承させたのち大阪へ隠棲し、次男を福田家の養子に迎えて隨竹庵を継承させた。 これが、4代隨竹庵・藪内節庵である。 これにより隨竹庵は実質的に藪内家の分家となり、節庵以降、隨竹庵は代々直系の子に継承されている。当代である7代・竹弌は節庵から見て玄孫にあたる。 なお、茶道界において、宗家の男子が2人以上いる場合、次男以下を分家化させることが通例である。長男が何らかの理由で継承できなくなるなど、家元不在の状況になりかねない場合、分家に家元を継承させるためである。但し、殆どの場合分家は1代限り、もしくは2代目までしか継承されない。 隨竹庵は、4代隨竹庵・藪内節庵の子孫が代々継承しており、分家として非常に稀なものである。
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