藤原浜主とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原浜主の意味・解説 

藤原浜主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/19 06:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
藤原浜主
時代 平安時代初期
生誕 延暦4年(785年
死没 承和12年1月4日845年2月13日
官位 従四位上安芸守
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原園人、母:不詳
兄弟 浜主関主、並人
丹治松成の娘
滋雄、藤原良仁室、興雄
テンプレートを表示

藤原 浜主(ふじわら の はまぬし)は、平安時代初期の貴族藤原北家右大臣藤原園人の長男。官位従四位上安芸守

経歴

薬子の変終結後の弘仁元年(810年)11月に従六位下から四階の昇叙により従五位下叙爵。のち、出羽介近江権介と地方官を経て、右京亮大学頭を歴任する。弘仁9年(818年右大臣として太政官の首班にあった父の園人が没するが、弘仁11年(820年)従五位上、弘仁13年(822年正五位下次いで従四位下嵯峨朝末にかけて急速に昇進し、この間に侍従神祇伯を務めた。

のち、天長4年(827年)従四位上・阿波守承和7年(840年安芸守に叙任されるなど淳和仁明朝にて地方官を務めている。承和12年(845年)1月4日卒去享年61。

人物

身長六尺(約182㎝)の長身で、容儀に見るべきものがあった。一方で、身体が弱かった事から天皇に拝謁する事が稀であり、名家の子息でありながら、功績を残したとの評判が無く、残念な事と思われた[1]

官歴

六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原園人
  • 母:不詳
  • 妻:生母不詳の子女
  • 妻:丹治松成の娘[2]
    • 男子:藤原興雄[2]

脚注

  1. ^ 続日本後紀』承和12年1月4日条
  2. ^ a b 尊卑分脈』の諸本の中に、丹治松成の娘と藤原興雄について、浜主の甥である時相の妻子とするものもある。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原浜主」の関連用語

藤原浜主のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原浜主のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原浜主 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS