藤助森
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:43 UTC 版)
大正時代に蒸ノ湯温泉を経営していた阿部藤助は、秋田県鹿角郡宮川村の助役を8年、村長を15年無報酬で務めたほか、鹿角郡農会長などを歴任し、電灯会社を興し、観光や農業など郷土の興隆に生涯をささげた人物である。阿部は八幡平までの山道を切り開いている。八幡平山頂から西北西500mにある藤助森(1604m)は彼の功績にちなんで名付けられた。藤助森の地形図への記載は以前は記載されていたが、最近の地形図からは削除されていた。山スキー愛好家で元行政マンの多田均は藤助森が冬季スキーツアーのコースの分岐点にあることから、遭難防止や遭難救助等の面から地形図の整備や指標を設置する必要性に着眼。鹿角、仙北、八幡平各市の山岳会等に呼びかけて2012年6月、児玉一鹿角市長にその旨を陳情。市長が国土地理院に申請し、8月に登載が決まった。新地形図は従来の地形図がなくなり次第発行される。
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