藤助河岸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:09 UTC 版)
藤助河岸は、蒲生村(越谷市)にあった河岸場であった。藤助河岸は、綾瀬川河岸とも蒲生河岸とも呼ばれていた。藤助河岸場は綾瀬川の左岸、出羽堀の合流地に置かれていた。「藤助河岸」の名称の由来は「河岸問屋高橋家の当主名が藤助であったため」といわれている。近隣の村から運ばれた年貢米の津出し(出荷)されていた。この河岸場が栄えた時期は天和・元禄時代であった。『武蔵国郡村誌』によると、河岸場の所有舟は、「似艜船10 艘、川下小舟19艘、伝馬造茶船10艘」との記述がある。 江戸時代以後、明治・大正期にも大量の出荷や取引が行われていたが、「大正9年に東武鉄道に越谷駅が設立されると、次第に鉄道輸送に取って代わられ、昭和初期には廃業した」という。
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