藤内神社とは? わかりやすく解説

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藤内神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 07:59 UTC 版)

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藤内神社

拝殿
所在地 茨城県水戸市藤井町874
位置 北緯36度26分46.8秒
東経140度24分7.8秒
座標: 北緯36度26分46.8秒 東経140度24分7.8秒
主祭神 経津主命
社格 式内社(小)論社
村社
創建 養老5年(721年
本殿の様式 流造
例祭 4月10日
地図
藤内神社
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鳥居

藤内神社(ふじうちじんじゃ)は、茨城県水戸市にある神社式内社論社で、旧社格村社

祭神

社伝では、当社西方5キロほどの地点にある朝房山(ちょうぼうさん)が祭神・経津主命の神山であるとされ、朝房山は『常陸国風土記那珂郡の条に記された晡時臥山(くれふしのやま)の候補地とされている山として知られる。

歴史

創建

社伝によると、養老5年(721年4月12日の暁、朝房山に霊光が輝き、その光が藤井郷を差して降り立ち、人々は驚き恐れ、6月15日に社殿を建立した。異説には、嘉祥年間に神託により香取神宮から経津主命を勧請したともいう。

概史

延喜式神名帳』に「常陸国那賀郡 藤内神社」と記載されており、その論社とされている。康平5年(1062年)には源義家が征奥の途次、当社北西の峰に十万の兵を集め当社に武運長久の祈願し社前の藤の枝を申し受けて鞭とし進軍したといい、兵を集めたところを「十万原」というとする。

近世以前は「藤内大明神」と称し、大永年間(1521~1528年)に社殿が焼失した際は、寛永5年(1628年)に宍戸藩秋田実季により再建され、元禄年間(1688~1704年)には水戸藩徳川光圀により改築されるなど、近郊の藩主達からの崇敬が厚かった。明治5年(1872年)には近代社格制度において村社に列した。

境内

祭事

脚注

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関連項目




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