蒋介石時代とは? わかりやすく解説

蔣介石時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:19 UTC 版)

一つの中国」の記事における「蔣介石時代」の解説

蔣介石双十協定分裂解消失敗してから国共内戦延長としてしか両政府の関係を定義できず、「漢賊不兩立 (漢賊並び立たず)」との主張繰り返したアメリカ日本から「二つの中国」検討するよう説得されても、反発し続けた。しかし1960年代中心に相次いだアジア・アフリカ諸国独立により、国際連合中国代表めぐって中華人民共和国支持する国が増加していた。アメリカリチャード・ニクソン政権は、「中国代表安全保障理事会常任理事国地位放棄して一般加盟国として国連に残る」という道を蔣介石勧めた。しかし蔣介石妥協しなかった(あるいはアメリカ最後通告の後に妥協決断したが、遅過ぎて間に合わなかったとの説もある)ため、1971年国連における「中国代表」を失ったいわゆるアルバニア決議)。また、国内的には、中華民国憲法本文形式上維持しつつ、中国大陸選出され国会議員任期無期限延長することで、中国正統政府であることを誇示しようとした(「法統」)。

※この「蔣介石時代」の解説は、「一つの中国」の解説の一部です。
「蔣介石時代」を含む「一つの中国」の記事については、「一つの中国」の概要を参照ください。

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