蔣介石死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 09:34 UTC 版)
しかし1975年4月に蔣介石が没すると、蔣介石が前妻毛福梅との間にもうけた長男の蔣経国が国民党主席兼中央委員会常務委員会主席に就任し党内の支持基盤を確立、次期総統就任への準備が進められた。血のつながりのない息子が党内基盤を確立したことで、自らの政治的基盤の弱体化を予想した宋美齢は、同年に中華民国を去りアメリカに住居を移し、1950年代に孔祥熙が購入していたニューヨーク州のロングアイランドの広大な屋敷に居を構えた。 その後1978年に、蔣経国は第5期総統代行である厳家淦の任期満了に伴い、第1回国民大会により第6期総統に指名され蔣介石の後を継いだ。しかし宋美齢はその後も政治的野心を持ち続け、国民党内の保守派と密接な関係を継続した。 なお1981年5月に、姉で中華人民共和国名誉国家主席となっていた宋慶齢が危篤となった際には、同国より宋慶齢の見舞いのために訪問を打診されたものの、同国との敵対関係が続いていたこともありこれを拒絶している。
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