蔣介石への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 09:34 UTC 版)
蔣介石は、結婚翌年の1928年に国民党軍総司令の地位を回復し、続いて国民党中央執行委員会の主席、国民政府主席となり、宋美齢も1930年から1932年までの間は、蔣介石の支援の下に、中華民国立法院の立法委員として、また国民党中央執行委員会の委員として国民党内にも多大な影響力を持った。 また、1936年12月に起きた西安事件においては、張学良軍に捕らえられ、その後西安市内の高桂滋公館に監禁されていた蔣介石の解放に向けて自ら西安に飛び、張学良や楊虎城との会談を行い蔣介石の解放へ向けた折衝を行うとともに、蔣介石に対しては、敵対する張学良軍や中国共産党軍との「統一戦線」の構築(国共合作)による抗日を訴えるなど、生涯を通じて蔣介石の政治的決定に強い影響力を有した。
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