落語との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:08 UTC 版)
「古今亭志ん生 (5代目)」の記事における「落語との出会い」の解説
博打や酒に手を出し、放蕩生活を続けた末に家出。以来、二度と実家へ寄り付かず、親や夭折した兄弟の死に目にも会っていない。この頃、芸事に興味を抱くようになり、天狗連(素人やセミプロの芸人集団)に出入りし始める。1907年(明治40年)頃に三遊亭圓盛(2代目三遊亭小圓朝門下、本名:堀善太郎)の門で三遊亭盛朝を名乗るが、まだプロの芸人ではなくセミプロであった。同時期、左の二の腕に般若の刺青を入れたという。 1910年(明治43年)頃、2代目三遊亭小圓朝に入門し、三遊亭朝太との前座名を名乗る。5代目志ん生自身は、当時名人と称された4代目橘家圓喬の弟子であったと生涯語っていた。1916年から1917年(大正5年から6年)頃、三遊亭圓菊を名乗り、二つ目になる。1918年(大正7年)、4代目古今亭志ん生門に移籍し、金原亭馬太郎に改名。その後、1921年(大正10年)9月に金原亭馬きんを名乗り、真打に昇進する。
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