茶人としての左楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:33 UTC 版)
耶馬渓焼が急速に大分県を代表する名産品となった背景には、吉村左楽iが表千家の茶人として著名な存在であったことも影響している。『耶馬渓百年誌』によると「京都千流家元の直門にして茶道の造詣大に深」とあり、若い頃は日田に住み文人墨客と大いに交わったと言う。それを裏付けるように、初期のパンフレットには總持寺住持・大圓玄致禅師(石川素童)や、寒山逸史(初代久留米市長・内藤新吾)より贈られた漢詩が掲載されている。 また、茶人としての声望から、大分県に行啓・御成する皇族に「抹茶献上」をする機会を得ることが多く、例えば1903年(明治36年)10月には有栖川若宮に、1907年(明治40年)11月には東宮(当時。後の大正天皇)にそれぞれ抹茶を立てて献上している。同時に、皇族の行啓・御成に伴う「御買上」にも浴し、先述した有栖川若宮・東宮(大正天皇)をはじめ、北白川若宮・閑院宮が商品を購入した記録が残っている。
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