英主・大建築家 ラメセス2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
「ファラオ」の記事における「英主・大建築家 ラメセス2世」の解説
ラメセス2世の時代は、エジプトがトトメス3世からアメンホテプ3世の時代に次いでエジプトが最も繁栄した時代である。王は即位5年にカデシュの戦いでヒッタイトと争った。ここにおいては、ラメセス2世は「戦神メンチュのようにただ一人で戦車を駆って奮戦し、ヒッタイトをさんざんに打ち破った」とされており、この業績を幾度となく神殿に刻ませている。 以後においては数回アジア遠征を試みているが、大勢は変わらなかった模様である。ここで、エジプトとヒッタイトは長年の対立を捨て、講和条約を治世21年に結び、結果としてアジアにおけるエジプトの領土を明確化させることに成功した。これ以降ヌビアやリビア地方へ小規模な軍隊を派遣し、国境を確認するのみで、目立った軍事行動はしていないようである。 国際情勢により、パレスチナ方面への支配権拡大ができなくなったラメセス2世は、建築活動に精力的に取り組んだ。現在でもエジプトではラメセス2世の即位名 ウセルマアトラー・セテプエンラー、誕生名 ラメセス・メリィアメン が刻まれた遺物を驚くほど確認できるが、これには彼の自己顕示欲によるものではなく、むしろ政治的・宗教的意図が少なからず関わっていたと推測されている。 政治的には、特にヌビア方面に多くの壮麗な神殿を建設することで、南からの異民族を威圧する働きがあったようである。 宗教的には、ラメセス2世はテーベを国政とは関係のないアメン=ラー神の信仰地と位置付けた。このことによりアメン神の影響力は削がれ、他の神々の信仰が活発になったという。
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