芸人集団と芸人社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/17 10:02 UTC 版)
山形県の祭文太夫を例にすれば、かれらは昭和初年ころまで10派近くの同業者組織に分かれて行動し、太平洋戦争後もしばらくは計見・山口・梅ヶ枝の3派が活動していたが、その内部においては、太夫たちはみずからの所属する派閥を「家(ケー)」と呼称し、師匠を「オヤジ」「オヤカタ」、相弟子を「アニキ」「シャテイ」、大師匠(師匠の師匠)を「ジイサン」、師匠の兄貴分を「オジ」「オジキ」などと呼称している。このように、「家(ケー)」は文字通り親分・子分の上下関係を基本とした擬制的な家族構造を採り、親方たちの談合によって諸事が決まり、また、それに違背した者には内部制裁が加えられるなど、高度な自治がおこなわれた。その一方で、「家(ケー)」内部での序列は、各人が祭文太夫となる前の家柄・家格、血縁・地縁などは問題にされなかった。このような芸人集団のあり方は、こんにちの芸人社会における家号のあり方に通じており、渡世人のモラルやルールなどとも共通の要素をもっている。
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