花礼二との事実婚
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作曲家の花礼二は青江と大井町で同居しながら歌唱指導した間柄で多くの曲を提供したが、2人は私生活においてもパートナーだった。青江は10歳ほど年上の花を“でんさん”と呼び、デビュー前の1965年頃から恋愛関係となった。ただし当時の芸能界では、「女性タレントに恋人がいると芸能人として売れない」とされていたため、二人は籍を入れないままひっそりと交際を続けた。 しかし1981年に青江の方から突然別れを切り出し、16年間に及んだ事実婚にピリオドが打たれた。花と別れた後それまで以上に歌に打ち込み、先述の通り歌手として新しいことに挑戦したり海外公演なども行った。1990年頃から時々雑誌の対談などで「今考えると、“別れ”っていいんじゃないかと思えるの。人生観とか季節感とか全てにおいて深みが増した気がする。別れを経験していないとこの味わいがないんじゃないかしら」と語っていたという。 しかし2000年2月に膵臓癌の転移が判明した後、青江が花に直接連絡して「戻ってきて」と頼んだことで再会。19年ぶりによりを戻した2人は、青江が死去する約2か月前に病床で婚姻届に署名して結婚した。青江の死後は、青江の兄弟と花の間で相続について訴訟するなどして耳目を集めた。 その後、花は青江の一周忌を終えた頃に熱海市の借家に移住。生前に青江が暮らしていた目黒区の自宅は売却した。彼の自宅には青江がかつて着用したステージ衣装が数十着ほど運び込まれ、大切に保管されており、花の知人の証言では「(花は)いずれ、青江の記念館をつくって彼女の遺品を展示したい」と語っていたという。しかしその後、花は2021年の夏に89歳で逝去した。青江との死別後は一人暮らしで、葬儀は花の親戚が営んだ。
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